20231.293.13追記

             

飯田市平和祈念館で起きていること、

「飯田市平和祈念館を考える会」の立ちあげ趣旨

               飯田市平和祈念館を考える会 

 

 昨年5月に、飯田市平和祈念館が、新調なった飯田市公民館「丘の上結いスクエア(ムトスぷらざ)」3階にオープンしました。オープン以来今日まで、飯田市内外から子どもたちを含む多くの参観者が訪れています。

 飯田市平和祈念館は、2000年の飯田市議会において「平和祈念館設置についての請願」が全会一致で採択されたことを受けて、飯田市教育委員会が担当課となって、「平和資料収集委員会(注1)」とともに平和資料(戦争遺品)の収集など20年余の準備を経てオープンにこぎつけたものです。

 

 この平和祈念館には飯田市を中心に飯田下伊那地域の人々の、戦時中だけでなく戦前、戦後も含めて、その動きや生活の様子、また戦争遺跡の紹介、戦争中に使用した物(平和資料)などが数多く展示され、戦争や平和について展示を通して考える場所になっています。

私たちはこのような平和祈念館がオープンされたことを評価しつつも、現在の平和祈念館に欠けている重要な点について言及しないわけにはいきません。

それは、飯田市出身の731部隊員だった方が命がけで秘密裏に持ち帰った、現時点では現地中国にも、世界中のどこにも残されていない医療器具や医学書のことです。この貴重な資料が飯田市に寄贈され、祈念館に展示されているにもかかわらず、肝心の731部隊についての説明が何らなされていません。そのため、初めて731部隊という言葉に出会った参観者には、ここに展示されている731関係資料の持つ歴史的な重要性が何ら伝わらないままとなってしまっています。

 このような状態になっているのは、祈念館オープンの準備段階では平和資料収集委員会のメンバーによって、731部隊の説明や実際に所属していた方々4人の証言などを含む数枚のパネル原稿が作成されたにもかかわらず、市教委の方針転換により展示パネルが発注されなかったためです。平和資料収集委員会は、オープン後も市教委や教育長へ再三にわたって731関係のパネル展示をするように働きかけを行ってきました。また、参観者からもぜひ731部隊の説明や証言を展示してほしいとの要望が寄せられています。しかし、市教委は、公的な施設での展示は全国に例がないこと、また、政府が731部隊の存在は認めながらも細菌戦をしたという公文書は発見されていない、としていることなどの理由によって応じようとしていません。しかし、政府見解はそうであったとしても、731部隊に関する裁判での東京地裁の判決では、731部隊による細菌兵器の実戦使用が認定されています。(注2

 この問題は市議会でも取り上げられ、市長は「広く市民の意見を聞く」と表明し、それに沿って市教委が「展示・活用検討委員会」を立ち上げ、すでに第1回目の委員会が持たれました。しかし、市教委は、「検討委員会は意見を聞く場であって、合意により何かを決定する場ではない」という立場を強調し、会議の様子も公開からは程遠いものです。

 

 私たちは、飯田市および市教委が、今まで積み上げてきた成果を生かし、731部隊員の方が資料を寄付するにあたって語った「再びこのようなことが起こらないように平和のために役立ててほしい」との切なる願いを活かして、731部隊の説明および証言パネルを一日も早く展示するよう求めます。

 私たちは、ここに「平和祈念館を考える会」を立ち上げ、広範な市民とともに、平和祈念館が被害と加害の両面から戦争の事実を伝え、次世代に平和の大切さを語り継ぐにふさわしい施設となるよう運動していく決意です。多くの方々の参加を呼びかけます。

 

(注1平和資料収集委員会

   2000年に飯田市議会で「平和祈念館設置の請願」が採択されたことを受けて、飯田市教育委員会が請願諸団体から募って組織した有志のボランティア団体(事務局は市教委)。祈念館設立へ向けての様々な研修や市民からの戦争遺品の寄付の受け入れなどの実務を行い、平和祈念館オープンにあたってはその準備を市教委と共に取り組んできた。

 

 

(注2731部隊に関する東京地裁判決

2002827日東京地方裁判所は、中国人遺族ら180人が、731部隊による被害に対して日本政府に損害賠償と謝罪を求めた裁判の判決で、細菌兵器の実戦使用を認定し、「被害は誠に悲惨かつ甚大で、旧日本軍による当該戦闘行為は非人間的なものであったとの評価を免れない」と断定しています。